2022年07月07日

青柳政司さんなくなる、まだ65再〜インディー創世記の重要人物がまた一人

カテゴリー:いろいろ

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 青柳館長がいなかったら、インディーは、プロレスは、また別の形になっていたかも。


青柳政司さん逝去、死因は不明

■元平成維震軍、誠心会館館長の青柳政司さんが死去  | 東京スポーツ
https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/4303754/
平成維震軍メンバーで、空手・誠心会館館長の青柳政司さんが6日に死去したことが分かった。65歳だった。死因などは不明。ゼロワンが7日に発表した。

 まだ65歳。
 検索をすると、体調が悪そうだったという声もあるのですが、自分は聞いていなかったので驚くばかり。





 青柳さんは、2015年5月のバイク事故で右足に大きな怪我を負い、その年の10月にNOAHで引退。
 しかし、2017年に7度目の引退を表明した大仁田厚と対戦するため復帰していました。

 1989年、プロレスを含めた様々な格闘技が終結する大会「格闘技の祭典」で、誠心会館の空手家・青柳政司として、大仁田厚と異種格闘技戦を行います。
 佐竹雅昭ら空手側のセコンドと、のちのスペル・デルフィンらプロレス側のセコンドが入り乱れるなかで行われたし愛は大乱戦に。
 これが翌年1990年に旗揚げされるFNWへとつながっていく。

 青柳選手はプロレスセンスが素晴らしく、空手のスタイルは守りながらも、好勝負をいくつも残してきました。
 最初に大仁田厚と戦ったのが、青柳選手で無かったら、またインディーの歴史は変わっていたかもしれません。
 ターザン後藤さんとともに、インディー創世記の重要人物が亡くなり残念んです。

 FMWのあとは、パイオニア戦志から新日本プロレスにも参戦。
 ここでも誠心会館としての構想、平成維震軍と、大きな話題を作り続けます。
 その他にも様々な団体で活躍。
 関わっていない団体を探すのが難しいぐらい。

 心よりご冥福をお祈りします。

 週刊プロレスが過去インタビューを公開。
■ジャイアント馬場&アントニオ猪木よりも外国人選手が好きだった…青柳政司さん伝説(1)プロレスとの出会い【週刊プロレス】 | BBMスポーツ | ベースボール・マガジン社
https://www.bbm-japan.com/article/detail/33921

1年前の動画
▼【誠心会館】現役プロレスラー青柳館長へ空手で挑戦した結果…




追悼

 一部ですが、追悼メッセージを。













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posted by sugi
2022年07月 16:08 | Comment(0) | いろいろ
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